震災で顕在化した色んなリスクが自分を本気でミニマリストにした

Twitterで「震災後の買い占め等を経験した上で、ミニマリストとして何か変化があったか」をブログで取り上げてほしいとのリクエストを頂いたので、それを含めて震災の前後で変わったことや気づいたことを書いてみたいと思います。


買い占めでモノが調達できない問題は意外と回避できた


震災後すぐに、質問頂いたように飲食料・日用品・ガソリンなどが買い占めされて調達できないって問題が起きましたが、自分はこの問題は特に何か工夫してたわけでなく、ガソリン以外は回避できました。

本来なら、この頃すでに今ほどでなくてもミニマリスト志向だったので、モノをストックしないというポリシーの弊害が出たと思うのですが、飲食料や日用品などは基本的に首都圏CO-OPで買って毎週宅配で、コンビニとかは何かをちょっと買い足す程度なので、生産地の被災で買えなくなったものはありましたが、買い占められて買えないって問題は起きませんでした。

配送経路が途絶されるような状況下にあれば、そういう問題に直面したかもしれませんが、その場合はむしろ自衛隊が支援物資を持ってくる事態になってるのかなと。

この経験もあって、今のところ依然としてストックしないポリシーを貫いています。

色んなリスクをはじめて認識してモノをなくす思い切りがついた


震災の数日前にMacBook Proを買っていて、デスクトップPCをなくせるんじゃないか、仕事もWindowsメインじゃなくてもいけるんじゃないかと考えていた頃でした。当時は、ミニマリスト志向を持ちつつあったものの、思い切りがつかないという状態でした。

2010年12月自宅 震災までにある程度減らしたけど大体こんな感じ。本を自炊してラックを空けた直後。

現在
現在

当時の感覚では、デスクトップPCをなくすというのも、MacをメインOSにするのも、かなりの思い切りが必要だったので、震災というきっかけで災害発生時や発生後の長期停電などのリスクを認識することがなかったら、今でもデスクトップPCを使っていたかもしれないのと、今ほどのミニマリストにはならなかった気もします。

この一歩はかなり大きくて、自分にとって最も重要なPCというところで思い切りをつけたことで、自分が精神的にモノに固定されてる感じが減りました。

徹底してモノをなくすことへのハードルがかなり下がり、希少品とか思い出の品とか捨てられなかったモノも、写真を撮ってクラウドに保存して現物は捨てるなど、徹底してデータ化していきました。思い出の品というのは時間が経ってからそれを見ることで、当時の記憶というか感覚を思い出せることが価値なので、別に物理的に残しておかなくてもいいなというのが、今の自分の考えです。災害とかでこういうのが一気に強制的になくなると精神的なダメージもすごいと思うので、そういうことが起き得る前に整理できたのは良かったなと思います。

その後も徹底してモノをなくしたことで、自分がどこかに精神的に固定されてる感じとかストレスを感じることが減ったのと、旅行するとか人と会うとか、どこかで何かを経験することがより楽しくなりました。

ただ、最後に一言だけ書いておきたいのは、以前、モノを整理できないのは未熟なせいだみたいな意見を見たことがあったのですが、別にモノに依存したり整理整頓しないのが必ずしも未熟ってことはないかなと。やるべきだと思っても何かができていないのでなく、それがいいと思うのであれば、人はその自分の価値観にしたがって生きていくのが一番幸せなのだと思います。

自分はモノをなくすことに価値を見出していますが、それが絶対的に正しいようにベストセラーとかで書かれてたりすると違和感を感じます。

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